前回訳がわからないまま過酷な登山をし、思いがけない神事とジョージアの自然の雄大さ壮大さに感動し、ジョージア人のどこまでも深い優しさ、大らかさに触れ身も心も清められた。
しかしそもそもこの催しは何だ??そこがやっと明らかになった。
聖なる山を下山し再び2台の車に別れて朝食をいただいた民家へ戻って来た。
「ここで何かがあるのか??まさか、まさか!!!!」
数時間の登山をしお腹ペコペコ、状況が良く分かっていなかったので子供達は朝食も何故か遠慮していて食べていなかった。
おもむろにまずはハチャプリとロビオニ(ジョージアの定番パン、チーズのパンと、豆のパン)がゲストに配られ、それに凄い勢いでむさぼりつく子供達。
心も身体も清められ煩悩が抜けたかと思いきや再び野生にかえった
それを見ていた家の人がこれは肉を与えないとこの子達は発狂すると思ったのか、こっちに来なさいと家の中に手招きし、そこには子豚の丸焼きがあった。
何故か子供達には真っ先に蹄とその周りの肉が配られた。(おそらくゲストに振舞うものなのだろう、さっきのパンには風習みたいなのがあることが後からわかったがこの豚の蹄は未だにわからない)
そしておもむろに庭の方に呼ばれそこのテーブルには所狭しとご馳走の数々と自家製ワインの姿が!「うおーーーーこれを待っていた―――!!!!」
事前に少し予習をしていたが(ただの食いしん坊)レチフミ地方のご馳走が並んでいるではないか!!
子豚の丸焼きをはじめ、地鶏の焼き鳥、牛肉の串焼き、川魚(鱒の一種だと思う)の塩焼き、チキンサラダ、ナスのクルミソースソテー、牛肉の香草煮込み、豚肉のオーストリ、トウモロコシのパン、ケーキなどなど次から次へとお皿の上やパンの上に食べ物をどんどん重ねて行くスタイル。
ご馳走をゆっくり堪能したい所だったが、いきなりジョージア式乾杯が次から次へと始まり出したのでもうそれどころではなくなってしまい、また新たな巡礼の旅へと私は旅立った。
そもそもこのお祭り?宴は何のためか??それがここに来てやっとわかりました。
乾杯の際に感謝の言葉を述べ、詩の朗読などと共に様々な語りが始まるのですが、それによるとどうやらこのお祭りはもともとパートナーのお父さんへの感謝の宴だったのです。
お父さんは医者でこの家の誰かの怪我を直してあげたのや、この村のジョージアでも有名なレスリングの選手の怪我も直し怪我から復活後も大活躍したのでそのお父さんに対する感謝の宴なのです。
その息子であるパートナーのギオルギとその新たな友人達である僕らまで招待していただき、ジョージア語で何言っているかはわからないのだが、何となく息子に対する感謝の言葉や親や招待してくれたことへの感謝の言葉、そして来てくれた僕らに対してすら感謝の言葉を言っていたようです。
何せそれぞれがそれを述べる度に乾杯がされ、その乾杯が文字通りの乾杯、全て飲み干すものなのでどんどんベロベロになっていきます。
乾杯→感謝→詩の朗読→牛の角の入れ物で乾杯(これがかなりの量が入る!)→ジョージアの混声合唱とジョージア文化ミックスボックスになり、その都度一気飲みなので悠久の歴史を通り越して彼方宇宙まで飛んで行ってしまった。
もう何十回も乾杯の儀式が続くのでいくらジョージア語でもその流れやメロディー?みたいなものがわかってきたので、すでにいい感じに酔っていましたが、ジョージア語と英語で僕も感謝の言葉を述べたら、予想以上の拍手と歓声が上がったので郷に入っては郷に従えでこの文化に溶け込んでいけました。
一方子供達は子供達で仲良くなり、大人の真似で乾杯などしていたようだ。
ジョージアの子供は非常にピュアで好奇心が強く、積極的なので日本人の子供達はグイグイ押されていたがまんざらでもなく、言葉が通じなくても気持ちが通じ凄く仲良くなり、最後の別れの時は別れを本当に惜しみ泣いてしまっていた。
オジサン達も乾杯を重ねるごとに仲良くなり言葉はいらなくなった。
最高の宇宙の真理である
こうしてジョージアの秘境レチフミの謎のお祭り&宴は終わりを迎えたが、大人も子供も大満足。
ジョージアの本場の文化に触れ、人々の温かさに触れ、雄大な自然を感じ、神の存在すらも感じた。
コロナ禍で日本では今年もお祭りが次々とキャンセルになっているようだが、ジョージアは物事の本質がしっかりしている国なので、お祭りを楽しむこと自体がコロナの本質から人々を退ける力を知っている。(変にどんちゃん騒ぎするお祭りではないし)
人々の繋がりを何よりも大切にし、こうして感謝をずっと忘れずに、見えないものを敬う、自然と共に生きているジョージア人
お祭りが持つ本当の本質に僕らは触れた。