レチフミ地方のお祭りがあり毎年招待されているから一緒に行かないかとジョージア人のビジネスパートナーに誘われた。
面白そうだから即答したが例のごとく詳細はほぼ明かされないまま出発した。
目的地まではどのくらいかかるのか?尋ねたが2時間ぐらいと答えるのみ、目的地の地名も具体的にどんな祭りなのか、どこでやるのかすら明かされなかった。
とにかくレチフミ地方方面に向かうこと1時間ちょっと、周りに何もない小さな集落で車が止まり、ふいにパートナーのお父さんがある家の前で降りたので、ただ挨拶しに行く感じだと思っていたら、どうやらここで車を乗り換えるらしい。
状況が全然つかめないまま民家に立ち寄り、何やらみんなと挨拶を交わしている
「車を手配するから待っていてくれ」とパートナーに言われ、その間にその家の女性陣が朝食など振舞ってくれ、いいのかな?有難いなと思いながら食べていたら、今度は大きな男の人に裏庭に呼ばれ朝8時前からミントのチャチャが振舞われた(アルコール度数40度以上のワインの搾りかすの蒸留酒、イタリアのグラッパと同じ)
朝から景気づけに2杯一気飲みし、彼のワイン畑など見せてもらった。
「ところでお祭りってどこでやるんだ??」
そのうち2台の車が来て外見はファンキーなお兄ちゃん達がドライバーで2台に別れてお祭りとやらに出発した。
物凄いくねくね山道を物凄いスピードで爆走していく、グーグルマップにも載っていない所へ訳がわからないまま突き進んで行く。
どんどん山を登って行くがどんどん車や歩いている人々や馬までも出始めて来た。
「これがお祭りなのか?この人々が行く先にお祭りがあるんだな!」と当然期待して行ったがなかなかにジョージアは不思議で手強い面白い国だった。
登れば登るほど車や人が出てきて、登る車と降りる車と人間と馬とでかなりのカオス状態。それでもまだ登るぞーーーっとファンキーお兄ちゃん達は車を強引に進めて行く
もう絶対これ以上無理でしょーっという場面でもそれでも登り続ける、周りを見ると日本車だらけしかもスバルが多かったので、こういう使い方にも日本車が優れているのね、とか妙に納得していたが、それにしても運転技術も凄い。
無理でしょっ!!と10回以上思ってやっともう絶対むりむりむり!っとなって車が止まった。
「今年は人が去年よりもかなり多く、目的地手前までしか行けなかったからこれから歩くよ」っとだけ言われ、一行は歩き始めた。(そもそも目的地や何をするのかがまだ全くわからない)
山道をとにかく歩く、登る、人と車と馬を避ける
凄い数の人が1つの目的地に向かって歩いている、子供も赤ちゃんも年寄りも、何故か山羊も羊も鶏も犬も連れてきている。
これだけ歩いてどこに向かうのか?僕らは当然その先に村がありそこでお祭りをやっていてご馳走とワインが待っていると、それだけを糧に欲深な現代人は目的地とやらに向かっていた。
それにしても周りの景色が美しい、壮大、雄大、神々しい
登れば登るほど風が出てきて周りの地形も険しくなってくる
それでも人々は何かに向けて突き進む、そのうちみんなに連帯感が生まれてきて、譲り合い、助け合い、すれ違う人同士挨拶を交わす。
こんな中に東洋人がいるものだからみんなガン見からの挨拶嵐、何故か日本人とわかった人もいてこんにちはや日本のことを話してくれる
うーーーんこれは面白い、相当の距離歩いて相当過酷な道のりなのに何故か疲れない、みんなで歩いている一体感が凄く不思議と怖いや疲れたと思わない。
6歳と8歳の女の子と一緒だが、彼女達も弱音を吐かない、いつもグタグタでよわよわな長女に限って言えばどんどん先に一人で行ってしまい、周りの人に助けてもらいながら登り続けている。
何とたくましいことか!人間はやはり野生に近い状態になるとその力を発揮するようだ。
2,3時間は歩いただろうか?
それにしても頂上付近は急でかなり風が強い
頂上が見えてくると小屋のようなものしか見えず、大人達はうすうす気が付いてきたが、それでも希望は失わずに村はないけどあの小屋の中にご馳走やワインがあるかも!っとか思っていたが、子供はストレートなので一言「肉は??」
みんなが目指していたのはこの頂上でしかもこの小屋であることは間違いないようだが、どう見てもご馳走やワインがあるとは思えないし、集まる人間の数の多さと小屋の規模が釣り合わなく、ここにご馳走やワインは隠せなさそうだなとやっとわかった。
では人々は何を目指してこんな過酷な山登りをしたのか?動物まで連れて??
それはその小屋が教会のような役目をしていて司祭?がそこで祈りを捧げていた。
人々はこの小屋に蝋燭を刺し、火を燃やし、祈っていた。
子供も家畜も動物達を連れてきたのはこの聖なる神事に参加させるため。
おそらく古代から続くこの神事に未だに人がこんなに集まるとは驚きだ!、しかも欲深な僕らには到底想像もつかなかった素朴な神事、ご馳走がそこに待っていたわけではないのに、ただこのために文字通り老若男女、馬、羊、山羊、犬、鶏は集まる。それがジョージアの偉大さ
みんな満足気な顔をして、より過酷な下山をする。
滑る、こける、転がる、車や馬が攻めてくる、車と車の間に挟まれる、泥沼にハマる
それでも終始穏やかで明るく、みんな助け合いながらピクニック感は失わずに下山する。(何度も言うがかなーり過酷です)
そのうち怖さやら疲労やら空腹やら不満やら不安やらがじょじょに吹き飛び、少しづつ山に置いてこれるようになってくる。
そうかこの登山&下山行為自体が祈りであり、信仰なのだ!
深い!深すぎるぞジョージア!
それにしても何も知らされていない日本人の僕らは驚きを通り越して諦めも通り越して何故だか幸福感に満たされた
そう言えばうちの勝さんが言ってたな
「外国へ行く者が、よく事情を知らぬから知らぬからと言うが、知って行こうというのが良くない。
何も用意しないでフイと行って、不用意に見て来なければならぬ。 」
By 勝海舟
待ちに待ったご馳走とワインはこの後にふいにやってきた。
つづく