私の母がジョージア移住を決めた
30年以上パン作り一筋でやってきた母は、日本でまだ天然酵母のパンが知られていない時から天然酵母のパンを作り続け、パンと無農薬野菜とオーガニック食材で僕ら兄弟を育ててくれた。(母子家庭)
食べ物の安全性や中身そして料理に異常に興味、好奇心が旺盛なのは母の影響が大いにあると思う。
母は7年前から住み慣れた東京を移り、縁もゆかりもない山口県の岩国市に移住し、働いていた会社の副社長のご家族がやっていた畑や築100年以上の古民家を改修してパン屋&古民家カフェをやりパンで地域おこしをしていた
コロナになり古民家カフェは運営困難になりスタッフ達も全ていなくなったが、母はパンを焼き続け通販と道の駅やオーガニック食材店などにパンを卸す2本柱で生き残った
コロナの間僕は仕事を全て失い、住んでいたフィリピンにもいられなくなったので1年間岩国で母のパン屋を手伝った
その母はもう62で還暦を過ぎ、第2の人生を考えていた
僕が日本にいた1年の間新たな移住の候補地を一緒に日本全国いろいろ周ったが、母がピンとくる場所はなかったようだ
それから1年が過ぎようとしているが、今がタイミングなのか、母が僕らが住むジョージアに移住して来ると言い出した。
(そんな母のことを中国新聞が記事にしている)
クタイシで低コスト生活でライフワークバランスを取る
朝3時に起き一日14時間以上も働く、しかも1人で働く重労働
女性でメインでパン職人をずっと続けている人がいないわけではないが、その過酷な労働からか、男性が圧倒的に多い
この長時間重労働をこの先も一人でずっと続けていくのか?
日本国内で移住して1人で全部やるとなると、そもそもの話パンを焼くための機材や設備やスペースに、先行投資にお金がかかり過ぎる
地方で空き家や安い家を借りてやるといろいろ周ってみたがやはりこの先行投資は還暦過ぎてからでは厳しく、その後の生活も考えてもあまり気が乗らない
そのまま数年が過ぎ去っていった
僕らがジョージアに住み始めてから1年が経つ
その間国内外問わず様々な場所を訪れ様々なものを見て経験したが、僕らが住むクタイシであれば母が望んでいた低コストでライフワークバランスを考えた穏やかな暮らしができるのではないかと思った。
還暦過ぎて海外移住
母に話してみると母も行き詰まっていたのか、タイミング的にもバッチリだったのか?とりあえずまずは6月に下見して9月に本移住することになった。
母が目指している半農半パン生活もクタイシであれば自然が豊かで低コストでコスパ良く暮らせるので実現できるのではないか
母もジョージアでヨーロッパでパンを焼くというのは昔からの挑戦してみたいことでもあったようで、還暦過ぎてから海外移住とヨーロッパでパンを焼く夢が叶う
のめり込んだらとことん追求しやり続ける人なので、この1年で帽子作りもはじめているようで、パンと帽子作りと家庭菜園の3本柱で余生を面白おかしく過ごせれば良いのではないか
ジョージアは日本人移住者が増えているし、クタイシにも外国人の移住者がどんどん増えていて気が合う面白い人も増えている
還暦過ぎての海外移住とヨーロッパパン作り初挑戦は生易しいものではないかと思うが、まあみんなで協力して何とかなっていくだろう
自分の理想の生活に向かい様々なことを自分で選択し、やり続ければ自ずと協力してくれる人も出て来るし、1人ということはない
何となく妥協しながら余生を過ごすよりは、新しいことに挑戦しながら面白おかしく生きた方が人も寄って来てくれる気がする
母の還暦過ぎてからの挑戦がはじまる