ジョージア映画界の巨匠オタール・イオセリアニ氏の故郷を周る機会を幸運にも得た(聖地巡礼)
案内してくれるのはこれまたジョージア文学界の巨匠オティア・イオセリアニ氏の息子ダチさん
オタール氏とオティア氏は親戚同士でもあり、同郷、同じ村で生まれ育った盟友でもある
僕達が編集&出版させてもらったオティア・イオセリアーニ氏の名著【ダチの物語】は、今回の案内役をかってくれた彼の息子さん、ダチを物語にしたもの
オタール・イオセリアニ氏の映画作品に感銘を受け、ジョージアで大学院の映画学科に入り、ジョージアで映画を撮りたいと熱い思いを持ち相談をしていただいた日本人女性との出会いがあり、実現したこのオタール・イオセリアーニ氏の故郷を巡る旅
まさかダチさん本人が案内してくれようとは思いもしなかったが、男前なジョージア人気質っぷりを発揮してくれ「男に二言はねえ、黙ってついて来な」的な言葉少なに、平然と案内してくれた
監督が生まれ育った村はオティア・イオセリアーニ氏の家がある町から近く、監督作品のロケ地にもなっている村だというので、ロケ地や生家、通っていた小学校などオタール・イオセリアーニ氏の聖地を周る旅になった

ひどい雨の中自家用車で連れて行ってくれ、監督作品のロケ地を周り
「この家の庭が落葉のオープンニングで宴会をしていた場所だ」とか、「この家はあの映画で使われた」とか、「オタール監督の生家だった場所で今は別の家が建っている」などなど、
村中を巡りオタール監督の聖地を巡った
最後にオタール監督が通っていた小学校まで連れて行ってくれ、彼の痕跡を辿り
ファミリーヒストリーまで知ることができた
オタール監督の昔の写真や、名簿や名札も残されていて、昔の暖炉と共に確かに彼がここで学び育った足跡を辿ることができた

旧ソ連時代にロシアで映画を学び、ソ連の厳しい監視の目がありながらも、ジョージアワインの造り方(伝統文化)を映画として映像に残し、かつソ連体制の皮肉や風刺的な要素も巧みに入れつつ、後世にまで残している、こんな大胆でかつ繊細なことができるのは彼しかいないと、友人のワイナリーオーナーは言っていた。
気骨があり、何事にも流されず、常に反骨心を持ち自分の信じた良いものを創り続ける姿勢
粘り強さ、頑なさ、本当の強さがこの地で生まれ育って、ロシアで学び、パリなどで映画を撮り、世界的にも評価されるジョージア映画界の巨匠オタール・イオセリアーニ氏の土台を創ったのかと、感慨にふけった
聖地巡礼を終えた頃には雨が止んだ
ダチさんは久しぶりに村を訪れたのか、まだ村に残りたい様子で、僕らの帰りのタクシーの手配をしてくれ、村で別れた
ジョージアの映画界と文学界の巨匠2人が生まれ育った村は、ジョージア人でもごく一部の人しか知らないだろう、極々普通の村で煌びやかな所も、豪華で華美な家などもなく、誰もが気づかずに通り過ぎてしまうような簡素な村
ただそういう所に本来のジョージアの奥深さがあるのだろう
飾らない、名声を欲しない、組織や団体に属することを嫌い、群れようとしない
ただただ自分の信じる道を愚直に行く、撮りたいものを撮り、書きたいものを書く
多くを語らない、審美眼が研ぎ澄まされた孤高の芸術家
言葉では説明がつかない、味がある良さをしみじみと、ジョージアってやっぱりいいなーっと感じた時でした