ジョージアでの犬と人間の関係は面白く、ピロスマニの絵にも、オタール・イオセリアニ映画にも出てきて印象的だ
実際ジョージアに行くとビックリするのが、そこら中に野良犬が無防備な格好で寝ていて、不思議と微笑ましい、優しい空気に包まれている光景を良く目にすること
言葉で表すのは難しいのだが、ジョージアでの人間と犬の関係は対等というか、犬権が尊重されているのか?ジョージア人も人権を侵されたり、色々言われるのが嫌いだからなのか、犬が非常にのびのびとしていて、人間っぽい、オッサンみたいな犬が多く、実際オッサンのような顔やしぐさ、表情すら犬によってかなり違い、今にも言葉を話しそうな雰囲気で語りかけてくる
虐げられていないからか、ピュアで非常に賢く、微妙な距離間をわきまえていて、それでいて心配してくれ道案内をしてくれたり、車や怪しい人から守ってくれたりする
犬が人間の散歩に付き合ってくれるが、その絶妙な距離感で犬が付いてきているわけでもなく、人間を先導しているわけでもなく、「たまたま行きたい道が一緒なだけですよー、偶然ですねー」っという感じで、どこまでも一緒に行ったりするので面白い
行きすぎたら、気付かれないようにすっと後ろを一瞬振り向くし、遅れたら知れ――っと、凄い勢いでそれでも大袈裟じゃない程度にス―――っと追い付いて来る
「古くから犬と人間はパートナーなのです、人間が喜べば犬も嬉しく、犬が幸せだと、人間も幸せなのです」っという犬と人間の関係性についてジョージアの小学校3年生の教科書に書かれていたのが印象に残っている

ジョージアから一旦離れ他の国に行ったり、日本に一時帰国する時にジョージアを思い出す要素の1つに、あのジョージアの賢く優しい犬達と接する機会がないな、野良犬がいないなっと寂しい気持ちになる
ジョージアの犬達は紛れもなく、ただの野良犬ではなく、同じ市民というか、近所のオジサンと同じような存在
「最近見かけないけど、どうしてるかな?」っと心配になり、ふっと現れてくれると嬉しい
自由に、その無防備で時に優しく、時にいいとこ見せたがり、張り切り過ぎて車追いかけたり危ないことしたり、癒してくれる存在でもあり、頼もしい存在でもある
ジョージア特にクタイシなど地方都市や田舎にとって犬は1つの人種というか、性別というか、そこになくてはならない存在で、ピロスマニの絵にもスプラやっている所に犬が入っていたり
イオセリアニ映画にもスプラやっている時には犬は必ず参加しているし、色々な場面で人と犬が関係を持ち、そこにいるのが当たり前のパートナー、友人の1人として描かれている
そんなジョージアの犬と人間の関係は、ジョージアの人の本質や歴史や文化とも深く繋がっていて、犬から見るジョージアというのも面白い(私達が出版したジョージア人誰もが知る童話、小学校の教科書にも載っているダチの物語にも犬や動物達が出てきて、みんな人間のように描かれている)